【書評】村上春樹「猫を棄てる」父親について語るとき

本書は、村上春樹さんが小学校低学年の頃に父親と海岸へ猫を捨てに行ったときのエピソード(当時は猫に避妊手術を受けさせる発想もなく、猫を棄てることはそれほど後ろめたいことではなかった)から始まります。
猫を棄てに行ったエピソード自体は、父について語るためのリードであり、本書のメインテーマは、父を媒介とした「戦争」と「歴史」についての考察です。時代に翻弄された父の歩んだ人生を、名もなき市民の個人的な物語(大きな歴史の中の片鱗)として、提示しています。
もしこの本が、他の小説家が書いたものならば、気にもならないのですが、村上春樹さんが自分の身内のことを文章にするというのは大変めずらしいことです。
とくに、お父さんについては、村上さんが小説家としてデビューして以来、絶縁状態というのをどこかで読んで知っていたので、何が語られてるのか、これは読まずにはいられませんでした。
村上さんの静かな文章の語り口と、目線の低い切り口は、読んでいて疲れを感じさせず、読者側の自分に関することを語られてるような臨場感があります。
「春樹さんの父が歩んだ人生」と、その事実から得られる春樹さんの心象を語ることで、ひとつの物語のような本になっています。
また装丁の美しさも魅力です。表紙と本文の挿絵に使用されている、
台湾の女性イラストレーター、高妍(ガオ・イェン)さんのイラストは、
古い記憶をたどるような懐かしさがあり、やさしいタッチに惹き込まれます。

父親の期待を裏切り、絶縁状態になった
村上春樹さんの父(名前は、村上千秋さんという)は、京都大学を出るほど終始優秀な学業成績をおさめてきた人だったが、時代に邪魔をされ(戦争/兵役にとられ)、本人が希望する人生を歩むことができなかった。なので一人息子である春樹さんに自分が歩むことができなかった人生を歩んでもらいたかったことから、春樹さんには、トップ・クラスの成績を望んだ。
ごく当たり前の家庭の一人っ子として比較的大事に育てられた春樹さんだが、学問に興味を持てず(好きな本を読み、音楽を聴き、友達や女の子との時間を優先していた)、そんな勤勉とは言いがたい息子の生活態度を見て、千秋さんは口惜しく思い、息子に対し慢性的な不満を持ち続けていた。それが春樹さんには慢性的な痛みとなり、親子関係は冷え切ったものになっていった。
春樹さんが十八歳で家を離れ、若いうちに結婚し、仕事を始めるようになってから(学生時代から自分でジャズバーを経営しています)、父との関係は疎遠になっていく。
三十歳で小説家としてデビューして以降もさらに関係が屈折し、最後には二十年以上まったく顔を合わせない絶縁に近い状態になってしまった。
僕は今でも、この今に至っても、自分が父をずっと落胆させてきた、その期待を裏切ってきた、という気持ちを――あるいはその残滓のようなものを――いだき続けている。
村上春樹さんは、1949年1月生まれです。私の父と同学年というのが驚き(村上さんの方が若いイメージ)。現代より閉鎖的で学歴が重視され、一度人生の道筋が決まったら修正がきかないような時代ですね。まだ大学進学できる家庭が多くなかった世代のなかで、春樹さんは恵まれた家庭環境で育ったと言えますが、親が子にかけるプレッシャーも現代とはだいぶ重みが違うので、こういった親子関係の亀裂はめずらしくはなかったのかもしれません。
父・千秋さんが歩んだ人生
春樹さんの父・村上千秋さんは、1917年生まれです。
非常に過酷な運命を背負った世代として、第一次世界大戦バブルの崩壊(1920年)、関東大震災(1923年)、昭和恐慌(1929年)、日中戦争(1937年開戦)、第二次世界大戦(1939年開戦)、そして戦後の貧困…。物心ついてから青春時代までを巨大な混乱に巻き込まれながら、懸命に生き延びなければなりませんでした。
千秋さん自身、1938年に輜重兵第十六連隊の特務二等兵として中国大陸へ送り込まれます。
戦争での体験についてほとんど語ることがなかった千秋さんですが、一度だけ、まだ幼い息子である春樹さんに、「自分の所属していた部隊が捕虜の中国兵を処刑したことがある」と打ち明けます(ただ目撃しただけなのか、深く関与したのかは、春樹さんも聞けなかった)。
春樹さんは後にこのときの父の告白を、”おそらく思い出したくもなく、話したくもないことを、たとえ双方の心に傷となって残ったとしても、血を分けた息子である春樹さんに言い残し、伝えておかなくてはならなかったのだ”と理解します。”父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを息子である自分が部分的に継承する、それを自らの一部として引き受けなくてはならない。人の心の繋がり、歴史というのはそういうものだ”と。
子供の頃、一度彼に尋ねたことがあった。誰のためにお経を唱えているのかと。彼は言った。前の戦争で死んでいった人たちのためだと。そこで亡くなった仲間の兵隊や、当時は敵であった中国の人たちのためだと。父はそれ以上の説明をしなかったし、僕はそれ以上の質問をしなかった。おそらくそこには、僕にそれ以上の質問を続けさせない何かが――場の空気のようなものが――あったのだと思う。
春樹さんの知る千秋さんは、毎朝、朝食の前に仏壇(仏壇、とは言えないような、ガラスケースに入れた菩薩)に向かって長い時間をかけてお経を唱えていたそうです。
戦場を生き残った者として千秋さんが抱えなければならなかった心の痛みがわかる行為です。
僕がこの文章で書きたかったことのひとつは、戦争というものが一人の人間――ごく当たり前の名もなき市民だ――の生き方や精神をどれほど大きく深く変えてしまえるかということだ。そしてその結果、僕がこうしてここにいる。父の運命がほんの僅かでも違う経路を辿っていたなら、僕という人間はそもそも存在していなかったはずだ。歴史というのはそういうものなのだ。
歴史は過去のものではない。それは意識の内側で、あるいはまた無意識の内側で、温もりを持つ生きた血となって流れ、次の世代へと否応なく持ち運ばれていくものなのだ。
本書を読んで
短い文章ですが、想像していた以上に重く、楽しんで読む内容ではありませんでした。それでもこの本に惹き込まれるのは、自分も先代から継承を受けた歴史の流れの一部分であると気付かされるからです。
私も父と絶縁状態。
きっと心配してるぞ
手紙でも書いてみたらどうかな